都留高プール跡地における縄文時代遺跡

 平成6年9月から始まった埋蔵文化財調査の結果、本校プール跡地から縄文時代中期の後半から後期の『敷石住居跡』が見つかった。今から4000年前の時代、この大月で縄文人がどのような生活を営んでいたのだろうか。

☆ 大月市周辺の縄文時代の遺跡

 下の表はこれまでの発掘調査の結果明らかにされたものである。
 (注1 表中の土器型式は、全国で発掘されたその時期の代表的なものである。)

<考察>
T 縄文中期
   大月市内の90ヵ所余りの遺跡のうち大半が中期に属することから、さかんな経済活動が行われていたことがわかる。
 (代表例)
  ○ 以前に都留校校庭から発掘された加曽利E式土器のなかには、長野県八ヶ岳山麓の土器と形、大きさとも同じことから交流があったことがわかる。 
  ○ 今回発掘された打製石斧は、ヤマノイモ、クズなど食用植物の採掘に用いられたものと考えられる。またクリの実や、それらを貯蔵するための穴も出土されていることから、縄文時代の経済活動(狩猟・採集・漁撈)のうち採集に大きく依存していたことがわかる。
U 縄文後期〜晩期
   遺跡数が極端に減少するが、これは富士山の火山活動が縄文後期から弥生時代にかけて頻繁におこり、その火山灰やスコリアが降ったため、動植物へ影響し、採集経済に依存していた当時の生活に影響を及ぼしたものといえる。また この時期の遺跡の減少は、東京・神奈川でも共通している。   

(注3 スコリア…鉄分を含んだ軽石)
 
(注2  大月市史より)
 

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